虚構の男がゴミ捨て場に不時着する。

極力毎日掌編。そうさユアグローもどき。或いは『絵のない絵本』の月。

言葉

小学四年の一学期にぼくは「言葉係」に任命される。

 朝、学校に来てすぐに、言葉に水をやる。どれだけ水をたっぷりやっても、一時間目が終わった頃には言葉はすっかり枯れている。だからまた水をやりに行く。それでも次の授業が終わった頃にはまたすっかり枯れてしまっている。

そんなわけで、僕は休み時間のたびに言葉に水をやりに行かなくてはならなかった。

 言葉は簡単に枯れる。それと同時にしぶとく生き残る。下校してから次の朝まで、雨でも降らない限り、言葉に水が与えられることはないが、それでも言葉は簡単には死なない。

 翌朝、僕が登校して言葉に水をやると、その乾燥して弱った身体がみるみるうちに潤いを取り戻す。力強くそこに言葉の存在を誇示する。

 夏休みが終わって二学期の始業式、ぼくはもう「言葉係」ではないけれど、何となく気になって言葉の様子を見に行く。夏休みのかんかん照りの日の下に一カ月近くさらされ続けた言葉の様子を。

 言葉はいつもと変わらずにあった。

-No.15-