虚構の男がゴミ捨て場に不時着する。

極力毎日掌編。そうさユアグローもどき。或いは『絵のない絵本』の月。

トースト

 女はトーストの耳を食む、愛した男のそれを食むときのように。

 カーテンの隙間から春の朝の陽光が女を射す。長い瞬きを一回。そして女は見た夢のことを思い出す。噛み千切った耳から出た真っ赤な血で信号機の赤を塗ろうとするが、右が赤だったか、左が赤だったか、それが思い出せないで戸惑い、ただブレーキの跡の鮮やかな黒に目を奪われる。そんな夢。

女はトーストを一旦置き、サラダを食べる。フォークを手にトマトを刺す。その間から溢れた赤い汁に、事故現場を連想してしまう。唾を飲む。

そこで女は「おはよう」が上手に言えないことに気付く。「お」に力を入れると「う」の頃には力をなくして、「う」をちゃんと言おうとすると「お」は声にならない。「お」と「う」を意識すると「は」は吐息に同化して消え、「は」に神経を尖らせたときには「お」を忘れる。「よ」を大切にすれば「お」や「は」に見捨てられて、女は私の「おはよう」がもうこの場所にはないことを知る。

女は涙を流す、愛した男を失ったときのように。

自動車のタイヤとアスファルトの間に生じた摩擦熱が、夢の中でトーストを真っ黒に焦がす。

-No.21-